H17年 2005−7月 
なんてピンクの首輪が似合わないほど
ぶさいくなんでしょう。
爆睡中のサティ。食欲旺盛で元気でした



 サティ(メス) H19年4月25日 16時30分 永眠
 享年 推定18歳前後 
 ともに暮らした年月2年と4ヶ月

 
H17.1月末にスーパーサティで保護。
 保護直後は食事以外は動かず寝ていることの多い猫だった。
 はじめは老猫だからかな。と思っていたが、3月上旬より嘔気や
 嘔吐、唾液・ゲップがみられるとともに腹部が張りはじめ、
 排尿・排便が極端に少なくなった。食欲もなくなりぐったりして
 きたため病院に連れて行ったところ、胃から小腸・大腸にかけて
 多量のガスや排泄物の貯留あり20日入院となる。
 レントゲン・バリウム検査施行。結果、腸内に何らかの障害が
 あるとのことで22日開腹手術。しかし胃腸内に障害物はなし。
 今回の手術では、胃腸内にたまった大量のガスを排出したのみで
 腹部は閉じられた。胃腸組織の細胞検査でも異常はなかったため
 症状の考えられる原因として以下が考えられた。

 レントゲンで通常は7つある腰椎がサティの場合5つしかない。
 そのため、神経伝達がうまくいかず、腸内の蠕動運動が弱く、
 食物が腸内にとどこおってしまう。そのため便が詰まりやすい。
 めずらしい症例とのことで確たる治療法はないとのことだった。
 以後 サティの食事はミキサー食となった。
 
 その後 大きなトラブルもなく食欲旺盛で劇だったサティ。
 H18年10月ごろ、右腕肘関節のふくらみと熱感を認める。
 特に痛がる様子もなく日常生活動作(以後ADLと期す)にも支障
 がなかったため老猫に見られる関節炎の一種かと思い様子観察。
 その後熱感は消失、腫れのみみられていた。
 H19年1月29日食欲もなくぐったりしているサティを病院へ
 つれていく。慢性腎不全指摘。即入院となる。
 また、右肘関節の腫れは生検の結果悪性リンパ腫と判明。
 高齢であること、慢性腎不全があることを理由にOPEや抗癌剤の
 治療はせずに保存療法で経過を追うこととした。

 1週間近くの入院生活のあと腎不全は小康状態を保つようになり
 自宅で持続静脈注射での管理となる。点滴がもれればしばらく
 皮下注射を行い、再び静脈注射での管理を繰り返す中、
 一時期は食欲も回復し猫缶を1日1缶も食べられるまでに
 回復をみせていた。
 しかし、4月10日を過ぎたあたりから食欲は再び低下。
 静脈での持続点滴管理を試みるが、右手はリンパ腫のためと
 左手は血管がボロボロとのことで無理と判断。
 サティも血管内に針をいれられるたびに泣き叫ぶため、今後は
 皮下注射での治療としと自宅での看護を続けることになった。
 
 食欲低下の中でも、さすがスーパーサティで生きてきた猫。 
 人間のたべるものには興味を示し、カツオやマグロの刺身、
 ロースとビーフ、特に鳥のレバーなどは大好物で、これにだけ
 反応を示すため体によくないとは思いつつ、残り少ない命
 好きなものを食べさせてあげたい・・・そう思い、与えた。
 はじめ、ガツガツ食べていたが、それも徐々に少食となり、
 4月18日、ついには水も口にしなくなった。
 いよいよかと覚悟を決めた・・・
  
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サティの思い出 
 
 

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